三国志Ⅸプレイ記 第十回

第十回(最終回)~ようやく統一~


曹操を倒し残る勢力は、袁譚、孫権(*)、羌族、烏丸族。
(*)董卓>>呂布>>孫権の順で君主が変わっております。

第三部隊>>成都から漢中~涼州に向かうルートが手間取っていたので
第一部隊で暇をもてあましている連中を西に移動させ、第三部隊と合流。
羌族は、山越と南蛮で倒した時と同様の方法で撃破。
孫権の方は、シンプルに数に物をいわせての力押しで撃破。
益州、涼州の部隊を洛陽に集結させ、次は壺関に立て篭もる14万の軍勢。

取りあえず、洛陽から上党に進軍。そして、鄴から進軍して挟み撃ちをする事に。
進軍したのはいいのですが、立ちはだかる髭のオッサン関羽。
一騎討ちでバタバタとなぎ倒される予想外の展開。
最終決戦にふさわしい展開になってきましたねぇ。
とはいえ、数の上では瓊英陣営が勝っているので、じっくり攻めて陥落。

壺関の大軍勢を失った袁譚軍に、もはや抵抗する術はありませんでした。
あっという間に追い込まれ、最後は降伏勧告を受け入れました。
時に、205年の七月の事でありました。

最後に……この『韓』の国がどのような国になったのかをお伝えしていきます。


天下を統一した韓は、北方に目を向けました。
無敵の弓騎兵隊をそろえた鮮卑族が、たびたび長城を越えて国内に侵入していた為である。
207年夏、皇帝・瓊英は自ら兵を率いて鮮卑討伐に向かいました。
それは、総勢数十万に及ぶ大遠征でありました。
陸遜・張遼軍を中心とした韓の精鋭部隊は、鮮卑軍に連戦連勝。
一年後、この戦いは鮮卑の降伏で幕を閉じる。

この戦いの後、瓊英は精強な騎馬部隊の必要性を痛切に感じていた。
大元帥・陸遜は、鮮卑の精鋭騎馬隊を支配下に加え、
有能な騎馬部隊の育成に着手していく。

その一環として企画された西方遠征は、汗血馬の産地として吊高い
大宛国への大規模な駿馬獲得を意味していた。
211年秋、張遼は精鋭五万騎を率い、大宛国への遠征に向かった。
いかに駿馬を有する大宛国といえども、百戦錬磨の韓軍精鋭部隊の敵ではなかった。
破竹の快進撃を続ける張遼軍。戦意を喪失した大宛国の王は
戦半ばにして韓への帰順を申し出た。
こうして張遼は、数万頭の汗血馬を従え、韓に凱旋したのである。

そして、この遠征で韓にもたらしたのは汗血馬だけではなかった。
西域との貿易路・シルクロードの確保であります。

これにより韓は、安定した収益を得る事になりました。

迎えて213年、李俊は更なる交易拡大を目論み、海路開拓に力を注ぐ

目指す先は……東方の倭、南方の天竺だった……
南海航路の確保は南方の中継都市に莫大な富をもたらし、韓全土を潤す。

また、異国からの船載品は文化の流入も促し、
中国文化と、異国文化が融合した新しい文化が芽生えたのであった。

そして……220年、多くの家臣・国民に惜しまれながら
皇帝・瓊英崩御。

彼女が遺した言葉です。
‐李俊を慕い、人民を想え、そして、何よりも韓を愛せ‐

‐完‐



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